『超実戦的な天守閣』松江城

神戸帰省中、中国地方をぐるりと回ってきました。この記事では、その途中に立ち寄った松江城について書いています。

松江城は、日本において当時のまま現存する天守閣を有する12城のうちの一つです。別名千鳥城とも。1611年に完成したお城で、黒い下見板張りと実戦を強く意識した造りが特徴的です。個人的には、黒いお城というとまず思い浮かぶのは熊本城で、松江城が二番目なのですが、逆にまず思い浮かぶのが松江城だという人も沢山居らっしゃるのではないでしょうか。

実戦を強く意識した造りのお城ではあるのですが、実際のところ戦火には一度も遭ったことがなく、当時のままの天守閣が綺麗に残っています。残念ながら天守閣以外の建物は明治期の廃城令による影響で取り壊されてしまいました。現在では、その時に取り壊された建物や門の幾らかが復元されています。

松江城の基本情報

公式Webサイト
Wikipedia
Google maps


【住所】島根県松江市殿町1−5
【営業】8:00〜18:30(10月〜3月の間は17:00まで)
【料金】大人560円、小中学生280円
【駐車場】有(参考
【問合せ先】松江城山公園管理事務所(電話 0852-21-4030)
【所要時間】約90分(※俺の場合)
【客層】若年者8割、高齢者2割、男女比4:6、単身者皆無(平日昼の場合)

【個人的評価】3/5点
★★★★★:行かないと人生損してるレベル
★★★★☆:宿泊旅行の主目的になりうる
★★★☆☆:日帰り旅行の主目的になりうる
★★☆☆☆:宿泊/日帰り旅行の副目的になりうる
★☆☆☆☆:別件の用事で近くにあったら寄ってみたい
☆☆☆☆☆:可も無く不可も無く

それでは以下、さくっと紹介していきます。

千鳥橋

内堀を越えて松江城跡のある松江城山公園にはいるには5つのルートがあります。本当は正面玄関ともいえる大手門から入りたかったのですが、今回行きは駐車した場所から最も近かった千鳥橋ルートを、帰る時に大手門ルートを使用しました。なお、他の3つは亀田橋・稲荷橋・北総門橋という橋を渡るルートです。

千鳥橋を撮った地点からみて真後ろには島根県庁があり、ちょうどこの時12時半でお昼時まっただ中という事もあってか県庁職員らしき人が大勢この橋を渡って松江城山公園に出入りしていました。お散歩だったり、お弁当を食べたりするのでしょう。雰囲気の良い公園が職場の目の前にあって羨ましいですね(笑

これは椿谷散策コースと呼ばれるもので、松江城山公園をぐるりと回る歩道のようです。いかにも気持ちよさそうですが、残念ながらのんびり歩いている時間は無かったので天守閣の方に進みます。

石段をのぼって小さな門を抜けると、そこは二の丸です。

南櫓(みなみやぐら)

二の丸に入って最初に見えてきたのは南櫓。これは2000年に復元されたものなので、当時から残っているものではありません。案内看板によると、何のためのものかはハッキリしていないものの、位置的に城下町の南東方向を監視するためのものではないかと考えられているんだそうです。

靴を脱いで中にあがる事も出来ます。一階には灯篭流しに使うような灯籠が安置されていました。おそらく、近く地元でそうした催しがあるのでしょう。地元の小学生なんかが灯籠を作っている様子を想像して1人和んでしまいました。

帰り道に撮った写真、これが内堀の外から見た南櫓です。先ほどの写真の中に窓から外を覗き見た様子を撮ったものがありますが、それを見てもわかるように櫓は2階建てなのに思いの外高いところからの景色が望めます。最初に南櫓を見学した時は、外から見るとこの様に石垣の端にある事がわからなかったのですが、帰り道に外からの様子を見てその景色の理由に納得。ちなみに左奥に写っている橋が、行きに利用した千鳥橋です。

中櫓(なかやぐら)

この櫓も、南櫓同様に沢山の灯籠が置かれていました。案内看板によると、これまた南櫓同様に何のためのものかははっきりしていないものの、幕末において御具足蔵という呼び方がなされていた事から武具の保管に主に使われたと推測されているそうです。

太鼓櫓(たいこやぐら)

先ほどみた中櫓とよく似ていますが、入り口のひさしが特徴的です。中には大きな太鼓が置かれ、時を告げる役割で打ち鳴らされたという事です。天守閣までは結構距離があるのですが、どこまで聞こえたのだろう?

上を見上げるとしっかりと組まれた梁が機能的で美しいと感じました。木造ってやっぱりいいですね!

井戸屋形

凄く大きな井戸がありました。比較のためにスマホを置いてみましたが、その大きさが伝わるでしょうか? この井戸の傍らにはひときわ大きな建物があったようですが、現時点では特に復元もされておらず、井戸だけがぽつんと存在しているように見えます(次に掲示する二の丸に関する案内看板を参照)。

松江神社

井戸屋形の向こうに神社が見えたので寄ってみます。

この手水舎は寛永16年(1639年)につくられたもので、何気に結構な歴史がありました。屋根の苔が凄く良い感じだと思うのですがどうでしょう?

歴史ある神社には何だか場違いな感じのハートが沢山・・・(#^ω^)

天守閣へ向かう

門と、門に通じる道って大好きです。当時は馬にのった人達が、ドカドカと走って抜けたのかななんて想像してしばし往時に思いを馳せたりなんかしてみたり。

見えてきました、天守閣です。松江城、実は幼い頃に一度来たことがあるのですが、その時の事をさっぱり思い出せません。来たことがある、という事だけは覚えているのですが・・・。もっと大きな天守閣だと思っていましたが、なんだかこぢんまりとしているように感じました。でも、やっぱり黒いお城って威圧感があって格好良いですね。

少しどんよりとした曇り空であるためかただでさえ黒い天守閣が一層黒く見えますね。黒い城も白い城も、よく晴れた日に見てみたいものだと思いました。でも、お城に限りませんが日本の木造建築物って、雨の日にも映えるような気がするのですよね。例えば江戸時代の町中、平屋が並ぶ通り。晴れた日に喧騒の中を沢山の人々が行き交うにぎやかな雰囲気。雨の日に番傘をさして静かに歩く人々の何だか物悲しい雰囲気。・・・なんて、それぞれの対照的なシーンをスッと想像出来てしまいませんか?そんな訳で、雨の中のお城もちょっと見てみたいような気もします。

松江城天守閣内部(地階)

天守閣は、地下1階、地上5階の構成です。お城に入ると、まずは地階といわれる地下部分を見学する事になります。ここは往時は倉庫として使われ、現在は天守閣そのものに関する遺物が展示されています。

地下に、というか天守閣の内部に井戸がある事にまず驚きました。この様に天守閣の井戸が現存している例はこの松江城のものが唯一なのだそうです。底のほうが何だかキラキラしていましたが、やはり硬貨でした。硬貨を投げ入れるとご利益がある、だなんて説明はどこにも書かれていないし多分そんな伝承も無いだろうに、何故か硬貨が投げ入れられる事って多いですよね。日本人は銭投げが好きなんだなぁ・・・w

俺?俺はドケチなんで・・・(´・_・`)

松江城天守閣内部(地上階)

松江城の城主であった松平直政は、弱冠14歳の時に大阪の陣で初陣を果たし、豊臣方の武将である真田幸村が守る真田丸と呼ばれる出城を攻める戦いにおいて活躍しました。その戦振りを自軍の大将である徳川家康からだけでなく、戦った当の本人である真田幸村からも賞賛されたのだとか。この金箔押の扇子はその際に真田幸村から与えられたものとの事ですが、しかしそれにしても14歳・・・当時の14歳ってどの程度精神的に成長しているものなのでしょうか、会って話をしてみたい@_@ この銅像を見るに・・・外見上は当たり前ですが、やっぱりただの子供にしか見えませんよね。

この太鼓こそが、先ほど訪れた太鼓櫓の中に置かれていたものなのでしょうね。古い太鼓ってのは初めてみたような気がしますが、見た目に雰囲気があるとなんだか音まできっと遠くまで響く良い音なのだろうという気がしてくるから不思議です。

お、構造模型だ。説明を読んでびっくりしました。これ、寛永年間に作られたって書いてあるじゃないか。現代になって作られたものかとおもいきや、400年前のものだとは。 構造上の欠陥をなおす方法を検討する為に作られたそうですが、昔の人もやっぱりきちんとそうした工程を踏むのですね。

そういえば以前に、火天の城という小説を読みました。安土城の築城を担当した棟梁を追った物語です。その時に描いた書評(Twitter投稿にも使えるように140文字に無理やり収めたので詳しくは書いていないのですが)を読み返すとこんな事を言っていました。

400年前に焼失した信長の天下布武を象徴する絢爛豪華な城、安土城の築城を追った物語。大工の視点から100万人規模の一大事業への取り組みが描かれ、新鮮な気分で読めた。次に何処かの城を見物する時には、当時の大工達の苦労を想いながら、今までとは違った視点での見物が楽しめると思う。

読書メーター 火天の城のNickyさんの感想
火天(かてん)の城 (文春文庫)
山本 兼一(著)
5つ星のうち4.1
¥693 (2022.03.26 時点)

この小説の中でも、主人公である棟梁が城の構造模型を作って強度試験などを行っていたっけ。・・・なんて事を考えながら歩いていると、こんなものもありました。

素屋根というのは、天守閣を解体する際にそのまわりを囲むようにして組まれるもので、瓦や漆喰を剥がして無防備となる天守閣を雨風から守るためのものです。5年間保ったとあるので、1950年から1955年にかけて行われた解体修理の時のものなのでしょう。

兜とセットでよく見られる、顔面を保護する面頬。その中に一つ、美女面頬と記されている一風変わったものがあった。女性が着けるものなのでしょう。女性版もあるんだな〜、ビックリしました。

石落とし。読んで字の如く、石垣や外壁をよじ登って攻めてくる敵に対して攻撃を加えるもの。これは他の城でも見られるもので、特に珍しいものではありませんね。

松江城天守閣内部(展望)

いよいよ最上階です。

天守閣展望からの眺めが良く、また涼しいです。向こうの方には宍道湖が見えています。どの城も大体景色は良いものですが、これは観光資源としての城に配慮してか、城の周辺には高層ビルなどの建築が制限されている事が多いからでしょう。例外としてはビル街まっただ中にある大阪城とかでしょうが、まだ行ったことが無いんですよね。どんな景色が見られるのでしょうか。いずれ行ってみなければ。

最上階から見下ろすとこんな感じの雰囲気。先ほども書きましたが、やはり木造っていいよなぁ・・・。ただ、桐でつくられた階段は急なうえに非常に良く滑って危険です。当時、足を滑らせてお尻を打ちつけながら落ちた人とか居たのだろうか?w

ちなみに階段が桐でつくられているのもまた、松江城が唯一なのだとか。桐が使われている理由は、石落としと並んで実戦を考慮した仕組みとして、侵入してきた敵が登ってこれないように階段の掛け外しがしやすいように軽い木材として選ばれたからだそうです。

帰路へ

天守閣を出て、来た時とは違うルートで駐車場に向かいます。

地元の子供達が何やら楽しそうに遊んでいました。どうやら『だるまさんがころんだ』のようです。な、懐かしい・・・!そもそも小学生の子供をあまり見かけない暮らしという自分の生活スタイルも関係しているでしょうが、近年は外で走り回って遊ぶ子供を見かけなくなりました。時々こうして元気に体を動かしている子供達を見かけると、微笑ましく感じると同時に何だか嬉しくなってしまいます。なんでだろう?w

松江城総括

この日は平日という事もあってあまり観光者がおらず、のんびりと過ごす事が出来ました。一方で、社会見学か何かなのであろう制服姿の中学生が数人単位のグループを何組か見かけました。南櫓や中櫓でも子供が作ったらしき灯籠を見かけたし、中学生の社会見学に使われたり、城下の公園で遊ぶ子どもたちが居たりと、地域に密着した観光地って凄く良いと思います。

天守閣は一度解体修理が行われているとはいえ基本的には400年前のものが現存しており、中々雰囲気は感じられるものでした。ただ、一度も戦火に巻き込まれていないという事も影響しているのか、一種の迫力というものにはどこか欠けているようにも感じられた事も確かです。まぁ、平和が一番だよねという事でここはひとつw

以上、松江城でした!

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